息子からの宿題

2年前の昨日、息子の幼馴染が亡くなりました。
別れは、前触れもなくあまりにも突然にやってきました。

お隣同士で小学校から中学までの9年間ずっと同じクラスで、
「あいつとは、くされえんっていうやつ」
なんて生意気な言葉を言っていた息子でした。

いつも一緒に学校に行き、
いつも一緒に帰ってくる。
一緒にサッカーをやって
けんかをしたり仲直りしたり。

そばにいることが当たり前だと思っていたのです。
私もそしてきっと息子も・・・

息子は訃報を聞いてから人前で一度も涙を見せていません。
告別式でまわりの友達がどんなに泣いていようと・・・
笑っているんです。

「☆☆ちゃんの分も頑張って生きようね」
という言葉を私から息子にかけたとき、

「頑張って生きてなんになるんだよ!
死んじまったら意味ねえじゃねえか!」

「人はいつか死ぬんだったら、なんで生きなきゃなんねえんだよ!」

という言葉を息子から投げられたのです。

その時、私は答えを出せませんでした。

私もそれを知ろうと思って生きていた訳ではなかったから。

本を読み講演を聴き、人と話し、そしてコーチングを学び。

答えなんてあるんだろうか・・・
でももし答えがあって、これを知って生きたらきっと生きやすい・・・

心の葛藤を繰り返しながら、最近私の中に芽生えたものがあるのです。

それは自分の存在価値。

私は夫からすれば妻であり
子ども達からすれば母であり
親からすれば娘であり
友達からすれば友であり・・・
犬からすれば餌をくれる人であり・・・

こう考えるだけでも私の存在価値はけっこうあり
これがたくさんあればあるほど私は必要とされていると思えるんです。
自分の存在価値が分かると生きなきゃならないと思えてくるんです。

自分からやりたいと思うことはないの?
と自問もしてみました。
あったんですね。これが。
ちゃんとこころの奥に。
そしてそれも私の存在価値をきっちり感じられることだったんです。

「人は自分の存在価値を見つけられたとき、生きたいと思える」

答えの一つになるかも知れないと息子に話してみようと思います。
そして新たに見つけた母の目標も応援してくれないかと。

「あなたが応援してくれたから母さんは頑張れた」
といつか伝えたいと思ったから。

息子の幼馴染の死は悲しくつらいことではあったけど、
思い出すたびに涙をおさえることができないことではあったけど、

このことで私はたくさんの気づきをもらったことは確かなのです。
そして息子も、なぜ生きなければならないか を考えた事も確かなのです。

亡くなってしまってはいても、彼の私達親子に残してくれたものはとても素晴らしいものだったんだと、今は言えそうな気がしています。
彼に心から感謝しています。
息子にも心から感謝しています。

そして私はまだ答えを探し続けようと思います。
同じように悩んでいる子ども達それぞれの心に届く答えが、もっとあるかも知れないから。


コーチングを学んだことは私にとって大きな転機だったように思います。
ためになる話は幾度となく見聴きしてきたと思うのですが・・・
その、ためになる話しを自分の行動に反映させられなかったのです。特に子育てにおいて。

なぜ反映させられなかったのか?
私はコーチングをからそれを教わったように思います。


同じカテゴリー(徒然)の記事画像
巣立ち
天空カフェアウラ
カウンセリングルームまんま
再開します
赤レンガ倉庫とCATS
絵本から学ぶ子育てコーチング
同じカテゴリー(徒然)の記事
 松本でカウンセラー養成基礎講座やります (2014-05-31 17:50)
 巣立ち (2012-08-20 08:00)
 天空カフェアウラ (2012-08-19 18:20)
 カウンセリングルームまんま (2012-05-04 16:02)
 再開します (2012-04-29 17:38)
 赤ちゃん一時避難プロジェクト~ふたたび~ (2011-08-17 10:00)

この記事へのコメント
人前で涙を流す事が出来なかった息子さん。
抱えきれなかった深い悲しみと戸惑いが、痛い程伝わってきて、私の涙が止まりません。

生きるというコト
死ぬというコト
楽しいというコト
悲しいというコト

こんなシンプルな事の意味が探せない。
皆探そうともしない。
息子さんのお友達は、たいへんな使命を背負ってこの世に降り立ったのだと思います。

それは、決して周りを悲しませるためではなかったはず。

たくさんの人に気づいてもらう為だったと、私は思います。

「明日という日が、今日と同じように来ると思ってしまっている」私たちのために。
「何でもない毎日が、かけがえのないものだと気づけない」私たちのために。

私も答え探しの旅を続けます。ひとり旅だけど、旅先で友だちができたので、今は寂しくありません。
Posted by ツノユミ at 2008年02月28日 00:09
大切なものがここにあるんだな・・と感じました。
それが何なのか、言葉だけではなかなか表現できないけど・・・。
いつも大切なことを奥にしまったまま、日々の時間に流されてしまうけど、
自分のそんな愚かさを認めながら、時々、深く深く想ってみようと思います。
さつきさん、大切な気持ちを伝えてくれてあろがとう。
そして、こんな気づきを与えてくれた息子さんの親友に・・ありがとう。
Posted by みゆ at 2008年02月28日 00:41
つのゆみさんへ
息子の幼なじみが亡くなった事で読んだ一冊の本が
つのゆみさんとの出会いに繋がっているんです。

そして今こうして一つのことを共有しあっている。

人との出会いって不思議でそして素敵だと感じています。


みゆさんへ
あのとき3人で話したことが私を気づかせてくれたんですよ。
今の息子に何から伝えれば良いかということを。
子どもたちに何から伝えれば良いかということを。

今までスタート地点が見えなかったんです。
スタート地点がわかれば展開がみえてきました。

みゆさん ありがとう。。。
Posted by さつきさつき at 2008年02月28日 10:12
足あと、ありがとうございました。
僕もまだ、生きる目的、生きる理由を見出せないでいます。
でも、僕が生きていることで誰かが笑ってくれたら、それだけで本望かな、なんて思ったりします。
Posted by まぐ at 2008年03月01日 02:42
まぐさんへ
お返事が遅くなってしまってごめんなさい。
久しぶりにブログを開きました。

まぐさんがいることで
笑顔でいられる人がいるなんて
素敵なことじゃないですか。

生きる目的や理由は
自分の存在価値を認めてから
はじめて見つけられるものなのではないか。。。と
最近、感じ始めた私でございます。
Posted by さつきさつき at 2008年03月05日 09:42
死ぬために、生きているのではないでしょうか??
頑張って生きるということは、最後死ぬ時に、
もちろん突然そんなことを考える余裕もないほど突然に、
死んでしまうかもしれませんけれど、最後死ぬ時に、
「私、頑張ったな!!辛いこともあったけどそれも経験!!私の人生は頑張った!!」
って思えることだと思うんです。
親友が突然死んでしまって、親友の分も頑張って生きるということは、もっと時間が経過しなければ整理の付かないことですよね。
けれど、死と対面するということは自分の成長するチャンス何だと思うんです。
どんなに悲しいことにも耐えなければならない。
それでも自分は生きなくてはいけない。

たぶん、生きるということは辛いことに耐えること。
小さな幸せに気付くこと。
だと私は思っています。

お母さんが、辛い時でも一生懸命頑張っていたら、
きっと息子さんも、頑張って生きることの意味を自分の為に、
自分なりに考えて、答えを出せると思います。

私ももう少し若い頃は「何のために生きるんだろう?」
なんて哲学していましたが、最近は徐々に答えが出てきています。

若くして親友を亡くすという悲しみ、絶望、不安。。。
きっと、誰もが経験できることではないと思うのです。
そんな貴重な悲しい経験をしたのだから、
しっかりと受け止めて乗り越えて欲しいです!!

さつきさん。落ち込まないでくださいね。

息子さん自信が、頑張って答えを探さなければならないのです。
そして、私たちも教えられるではなく、自分で自分の答えを見つけなければならないのです。

生意気にもコメントをさせて頂き、申し訳ございません。
Posted by のん♪ at 2008年03月17日 15:21
のん♪さんへ
すごーくお返事が遅くなってしまい申し訳ありません。
コメントありがとうございます。

息子の力を信じています。
この体験を必ず自分や他の誰かのために生かしていけると信じています。
生きがいを一人でみつけられず、苦しんで苦しんでもがいている世の中の思春期の子ども達の心に寄り添える存在でいたいと思っています。
彼らが味方は一人もいないと絶望する前に
「私はあなたの味方だよ」と伝えたい。
自分を心配してくれる人がいることに気づいて欲しい。
奇麗事に聞こえますか?
でも私は本気なんです。
Posted by さつきさつき at 2008年03月28日 10:27
※このブログではブログの持ち主が承認した後、コメントが反映される設定です。
上の画像に書かれている文字を入力して下さい
 
<ご注意>
書き込まれた内容は公開され、ブログの持ち主だけが削除できます。